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戦後の沖縄に大リーガーと戦った男たちがいたことを知っていますか
  大リーガーに挑戦したうちなーんちゅ
 
琉球ボーイズ―米軍統治下の沖縄に大リーガーを本気にさせた男たちがいた
戦後のうちなー世が見えてくる
封印された夢の一戦!

「琉球ボーイズ」
 −米軍統治下の大リーガーを本気にさせた男たちがいた

 

著者:市田 実/発行:小学館
価格:1200円+税

1962年10月21日
沖縄の職域野球(社会人野球)の選手4名が米軍の親善試合に出場し、大リーグのデトロイトタイガースと沖縄で戦った。
しかし、彼らが出場することは沖縄の人々にはほとんど知られず、また出場した事実は長らく封印されていたのだ。
この本のタイトルは、『琉球ボーイズ』
大リーガーの一人が、これから戦う相手、全琉オールスターズのうちなーんちゅのメンバーに握手を求めながら『ヘイリュウキュウボーイズ 今日の試合はお互いベストを尽くそう』語った言葉。


日本とアメリカ、歴史の中で二つの国に翻弄されてきた沖縄。
そこに暮らす人の心の葛藤や失望、そして希望。
この1冊の中から、戦後沖縄の軌跡、沖縄の野球の歴史が見えてくる。

【戦後の沖縄野球】
 キャッチャーが立ち上がると主審が「敬遠か?」とたずね、「はい」と答えると「よし、行け」 と
バッターを1塁へ歩かせていた戦後の沖縄の野球。
本土での社会人野球を経験したとき、バントやヒットエンドランなどの作戦をカウントによって
仕掛けてくるのにびっくり。
投手と打者が真っ向勝負という当時の沖縄の野球だから、セオリーや作戦などというものが
ほとんどなかった。

  毎年沖縄から出場するようになった都市対抗野球の予選、南九州大会。本大会は東京の後楽園球場で行なわれるが、だれも後楽園へ行こうなどとは思っていなかった。どうせ無理だ。内地には勝てない。終盤まで接戦でも1点取られたら意気消沈。やっぱりな。そんなあきらめムードがいつもチームに漂っていた。
 コンプレックスで、敗れていたのかもしれない。それに気づいたのは、かなり時が過ぎ去ってからだった。


【いったい自分たちはどこの国に所属している人間なんだ】
 日本人でもなければアメリカ人でもない。
 九州遠征の際、本土へ上陸するときに入国手続きがあった。税関で渡航
証明書(パスポートの役割をもつ)を見せなくてはならない。
 渡航証明書に書かれた国籍は『琉球』。いったい自分たちはどこの国に
所属している人間なんだ。と寂しさが襲う。
 全幅の信頼を寄せていた親友から突然疎外されたような、とてつもない
孤独感が押し寄せてくる。
 約20時間以上の船旅の距離以上に本土を遠く感じる瞬間だった。
 国に属せない現状から来るコンプレックスが、あきらめに結びついていたのだった。


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【大リーガーと対戦せよ!】

 大リーガーと対戦せよ!
 社会人野球の選手が監督からそう言われたら舞い上がって踊り出すに違いない。
 あり得ないような話だが、40数年前の沖縄で実際に起こった出来事。
 大リーガーと対戦できる。選手は大喜びで練習に励む。

  しかしそんな喜びも、つかの間の夢に変わろうとした。
 日本のアマチュア規定では、プロとの対戦を禁じていて、もしプロとの試合に出場した場合は
アマチュア資格を剥奪され、都市対抗などアマチュアの試合には出場できなくなる。
 沖縄で社会人野球をしている選手たちにはこれからも本土で戦う場を与えたい。
 迷った末に野球連盟から民政府に対して大リーガーとの試合には出場できないと伝えた


【2つの国の間で】

 「僕たちは日本の野球協会に加盟しているんです。そこの規則でプロと試合をやった
  アマチュア選手は日本の試合に出られなくなってしまうんですよ。」


 「あなたたちは日本人じゃない。どうして日本のいうことを聞く必要がある。
  いいか、試合に出るんだ。これは民政府の命令だ。」


  「日本の野球連盟に加入していようがいまいが僕らには関係ない。
  今君たちは僕たち米軍に統治されているんだ。わかるか?
  僕たちの言うことに従わなくてはいけない立場なんだよ。
  琉球の選手を試合にだしなさい。いいな。」


 こんなやり取りの中で野球連盟の会長は考え、そして悩んだ。
 出場予定のメンバー4名を呼び寄せる。
 民政府が出ろといっているから出ないといけない。
 しかし、日本の野球協会に「出場します」と報告するとアマチュア資格が
 剥奪され選手たちの野球人生が終わることを意味していた。


  『野球ができなくなってもいいです、大リーガーとやらせてください!』


 よし、4名全員の思いに決心を固めた。喜んで送り出してやろう。



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【封印】

 ただし、沖縄の野球連盟は知らなかったことにする。
 内地にバレたら自分たちの判断で勝手に出たと言え。
 沖縄の野球連盟が出したとなると、ペナルティーも免れない。
 それは、責任の押し付けではなく、大リーガーと戦うという、夢の実現と、選手自らの判断で
出場したということで、沖縄のアマチュア野球選手がその後も本土での試合に出られるように
という、2つの問題の中での苦肉の策だった。 」

 日米親善交流で行なわれる大リーガーとの試合に、われらが沖縄職域
野球のスターたちが出場する。
 本来ならば地元にとって大反響を呼び起こす、輝かしい出来事。
 新聞で告知しないなどありえないことだが、沖縄の地元新聞2社も日本の
野球協会と米軍民政府との板ばさみに合って苦悩している沖縄の野球連盟に
配慮し、なるべく扱いを小さくした。



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【うちなー世】

 沖縄には何度も大リーグのチームが訪れ、駐留米軍との親善試合を行なってきたが、1962年
そこに沖縄の選手が加わることになった。
 それはなぜか?!
 米軍統治下にあった沖縄では、ほとんど植民地的な扱いを受けていたことへの反発と、国へ
属したい人々の想いが膨らみつづけていた。
 米軍人が沖縄の人を車でひき殺したり、イノシシと間違えておばぁを射殺したといったりしても
無罪で本国へ帰る。
 そんな差別的扱いによって住民に広がった反米感情を抑えるためだったようだ。




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【対戦の日】

 試合前、
  「ヘイ、リュウキュウボーイ」「今日の試合はお互いベストを尽くそう」
 と、デトロイトタイガースの選手の一人が握手を求めてきた。
 日本にもアメリカにも見下されてきたが、大リーガーは対等に扱ってくれて握手を求めてくれたことに感激する。


 試合は、デトロイトタイガースの大量リードで進んでいた。
 勝敗ではなく、何点とるかが話題になった7回、沖縄職域野球界のエース「岸本」がマウンドに上がった。
 バッターは1955年の首位打者「ケイライン」。岸本は緊張などしなかった。


 『おまえはわかっているだろうけど、最初からあきらめていたら
  勝てるもんも勝てないよ。
  それが沖縄の野球だったんだ。野球選手なら、相手が大リーガーだって
  堂々と戦わないと。
  逃げちゃだめなんだ。逃げたら、前に進めないんだよ。』


 恩師から言われたこの言葉を岸本はマウンドで思い出し、
 「このバッターから三振を取りたい」と本気で思い、挑んだ。


 2ストライク1ボールのカウントからの一投は、真ん中高めに入ってきた。
 ケイラインは見送ったが、主審の判定はストライク。
 なんと琉球のアマチュア投手に三振を奪われた。ケイラインは「高い!」と猛烈に主審に抗議したが、親善試合の審判も大リーグのプロ。
 ストライクはストライクだと毅然とした態度。ケイラインも認めざるを得なかった。
 アメリカの新聞社が撮影した写真からもストライクであることが判る1球だったそうだ。


 沖縄の社会人野球のエースが現役大リーガー「ケイライン」から4球で三振を奪ったのだ。
 大リーガーから三振を奪った琉球ボーイがマウンドからベンチに引き上げて来ると観客は総立ちになり、スタンディングオベーションで迎えたそうだ。


 春の甲子園大会で「沖縄尚学高校」が優勝した日のような、爽やかな風が球場を吹き抜けていったに違いない。


 本土の方にも、そしてうちなーんちゅにもぜひ読んで欲しい一冊です。

(文・もりこ)
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