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「私と一緒に行こうねえ」
糸満のバス停で見知らぬオバアに声をかけられて、南部戦跡方面行きのバスに乗った。僕が行きたかった「ひめゆりの塔」は「あとで行こうねえ」と通過……、向かったのは「平和の礎」。当時の僕は聞いたことのないところで、波のような石の群れが広がるばかり。
「私の家族の名前が刻まれているから、あなたに探してもらいましょう」と入口付近にある検索システムまで連れて行かれた。
「住んでいたのは首里ね、名前は照屋……」
言われるままに入力すると、オバアの家族たちが現れる。沖縄戦等で亡くなった人たちの名前が刻まれているとその時わかった。僕を案内役として利用していることも。
「この名前は私のオバア、こっちは妹でこっちはとなりの家の人、みんな戦争で死んじゃった」と花と線香を手向けて手を合わせるオバアの横で、僕も冥福を祈った
「次はあっちね」と各県ごとの慰霊碑に向かう。慰霊碑の下には招集されて南の島で戦死した兵士の遺骨がまとめて埋葬されているのだという。オバアの旦那様もだ。夫婦の会話に入るのもどうかと思い、僕は距離をおいて彼女が戻るのをベンチに座って待っていた。
「さあ、お昼だから弁当を食べようねえ」
戻ってきたオバアにいきなり弁当を渡される。炊き込みごはん、野菜の煮物。どれもおいしそうだが、お弁当はひとつしかない。
「いや、これ、オバアの弁当でしょ? 僕が食べるわけにはいかないですよ」
「いいから、食べなさい」
「いや……」
「食べなさい!」
押し問答の末、彼女の気を害してはまずいと思って食べた。おいしい。でも何で僕が?
「よく食べてくれたね。さあ、ひめゆりの塔に行こうね」
僕の目的地で、オバアは生き証人としての存在を示してくれた。写真を指さして、
「あの子ね、私の友達」
もう、何も言えなくなってしまった。
帰途はタクシーにふたりで乗った。バスだと一時間後に搭乗する飛行機に間に合わない。
運転手さんとオバアの会話は方言で全くわからなかった。那覇のバスターミナルでオバアを下ろすと、タクシーは空港へ。
「あのオバアね、お客さんのことほめてたのわかりました?」と運転手さん。
「いや、方言なので、まったく……」
「見ず知らずの年寄りの弁当を、この若者は残さず全部食べてくれた。感心したって」
「そんなこと言ってたんですか……、でも何で僕に食べさせたんでしょうね」
「あ、あれね、お客さんの歳の頃に亡くなったご主人に供えてたやつなんですって。この暑さじゃ家に帰る前に痛んじゃうしね」
「……」
はじめて沖縄にいった一九九五年、沖縄戦から五十年目の夏の思い出は忘れられない。
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