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みなさんは1993年の米不足騒動を覚えているだろうか。冷害で全国的に米が大被害を受け、タイ米が緊急輸入されたあの年を。
タイ米に慣れない日本人の多くは失礼にも「まずい!」とか「やっぱ日本米が一番!」とかヒステリックに嫌がった。ボク個人としては料理によってはタイ米の方がうまいことも多いと思っているが、とにかく日本人のほとんどが「タイ米ってまずいねぇー」と言い合った年、それがあの大冷害の年なのである。
その年、岩手県は戦後最悪の凶作に見舞われていた。
ほとんど米が採れなかった。翌年の米を作るための種籾(たねもみ:種として蒔くために取っておく籾米)すら確保できなかった。1994年用の種籾が確保できなかったということは1994年に植える苗がないことを意味する。そうなると1994年は米が採れないから1995年用の種籾も採れない。そうなると1994年は米が採れないから1995年用の種籾も採れない。そうなると1995年は米が…‥って、しつこいな。つまり、平たく言うと岩手の米が消滅する大危機だったのだ。
岩 手「緊急事態だ。種籾を分けてもらえないかどうか、お隣さんたちに頼んでみよう」
お隣県「こっちも大冷害で分けてあげる余裕なんか、ねえ」
岩 手「北海道はどうだろう?」
北海道「こっちも大冷害だから分けてあげる余裕なんかないっしょ」
岩手は青くなった。
温かい地方の種籾などもらっても寒い岩手では育たない。東北各県・北海道に断られてしまったらもう打つ手がない。八方塞がりで「なじょすっぺ〜?(どうしたらいいんだ〜)」と頭を抱えていた1993年秋、ある知らせが入った。「岩手農業試験場に『寒さに強い新品種』の種籾が少量とはいえ存在している」という知らせである。
その新品種「岩手34号」の種籾を増やして、県中の農家に種籾を配れないか!
そうすれば、1994年も米が採れる。しかも寒さに強い米だ。もう冷害など怖くない!
やった〜!…‥・・でもどうやって増やすんだ?
岩手の田植えは6月である。それまでに少量の岩手34号を育て上げ、大量に種籾を収穫しないと配れない!
ふたたび彼らは頭を抱えた。
やっぱりダメか…‥。
その時、当時の農政部長高橋洋介氏(現岩手県副知事)がこう言った。
「暖かい沖縄は1年に2回、1月と8月に田植えをする二期作のはずだ。1月に岩手34号を植えてもらえれば、岩手の田植えまでに収穫ができる。沖縄に頼んでみたらどうだろうか」
北国岩手の米を南国沖縄で作る!
この逆転の発想に、みな飛びついた。
男たちは走った。(←「プロジェクトX」の田口トモロヲのように読むこと)
すぐさま交渉してみると「他の県が困っている時は、助けるのが当たり前」と沖縄の石垣市が快諾してくれた。
農家の人々も「同じ農家の痛みとして、こういうときこそ協力しよう!」と石垣島内の一番良い田んぼを50ヘクタール(石垣全水田の1/5。東京ドーム10個分)岩手県のために用意したという。
石垣島の全水田の1/5…‥
自分たちのためにそんなことしてもらってもいいのだろうかという岩手の男たちの躊躇に、石垣の人達はこう応えた。
「岩手県の農家の痛みは、沖縄県の農家の痛みでもあります。協力させてください」
12月。岩手から責任者として菅原邦典氏(現花泉町助役)が石垣島に飛んだ。
岩手米の命運を賭けた、失敗の許されないプロジェクトが始まったのである。(←ここで「プロジェクトエークス!」とSEが入る)
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