ツインオッターが沖縄の空に導入されたのは、1972年の日本復帰がきっかけだった。

復帰により日本航空法が適用されたことによって、それまで64人乗りのYS−11型機で運航していた南大東、与那国の両空港にYS-11が使用できなくなることが判った。

当時、両空港の滑走路は1,200メートルだったが、滑走路の延長線上に障害物があり(南大東は山、与那国は製糖工場の煙突)飛行機の進入角度の妨げになる為、使用可能距離は800メートルとなる。これを復帰前は搭載燃料や乗客数等の重量制限をすることにより運用面で規制をクリアし運航していたが、日本航空法下では認められないという事になった。


当時の南西航空(現JTA・日本トランスオ−シャン航空)は、悩みに悩んだ。


 ・山を削ったり煙突を取り除くなどは地域住民の生活に影響を与えるのでやるべきではない。
 ・空港の改修には予算と時間が必要でハードルが高い。
 ・機材変更して小型化することは、時代の趨勢に逆行することと思われた。



結局、南西航空は航空会社として最も厳しい選択となる「機材の小型化」を決断。
小型機そして短距離の運航では、毎便・満席でも採算は取れないことが判っていたが、「県民の足」として設立された南西航空の使命・社会性からは、営利事業が大前提であるはずの民間会社の枠を超えた判断を求められたのである。


導入が決定したDHC−6はカナダが開発した自慢の飛行機。「short take-off and landing」の頭文字をとってSTOL(エストール)と呼ばれる短距離・離発着機で、離陸690メートル、着陸460メートルの滑走路距離と小さな飛行場でも安全に離発着できる性能だ。


ツインオッター一番機は、1973年5月26日に那覇空港に到着。愛称は「さしば号」と名付けられた。毎年渡り鳥として先島を訪れる「さしば」は島民に愛着の深い鳥である。その後南西航空は、3機のDHC−6を導入することになるが、「ばし」「あじさし」「きんばと」といずれも鳥の名の愛称が付けられた。
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