ツインオッターの思い出 RAC機長 高野光幸

いつでしたか、波照間島の海上を低空を飛んでいた時、4畳半はあろうかというマンタを見たことが印象に残っています。また下地空港上空を飛んでいたとき海のブルーの色が空にある雲に映りこみ、雲が青く染まっていたのは感動的でした。

ツインオッターの思い出
  RAC客室乗務員・仲間直美

最初は地上職として入社した私は、1992年にJTAからRACへのツインオッター移管に伴ない客室乗務員となりました。印象に残っているのは、いつもご搭乗いただいているおばあちゃんが、私の「訓練生」のバッチを見て降機する際に手を握り締め「頑張ってね」と声をかけてくれたことです。思わずジーンとしてしまいました。また大東便ではよくお客様に「大東寿司」を差し入れしてもらい嬉しかったですね。一度、エンジンが故障し片側だけのエンジンだけで緊急着陸をしたことがありましたが、お客様は平然としていて中には眠っている方も。無事着陸した時は機内は拍手の音につつまれました。

ツインオッターの思い出 
 JTA客室乗務員・竹内世千美

入社したのは1978年7月、当時・ツインオッター専属乗務員ということで私のフライトはツインオッターから始まりました。エアコン装備がないので夏場は機内の温度が40度近くまで上昇し乗務を始めて僅か1ヶ月で5キロも痩せました。機内サービスでおしぼりを配っているときに自分の汗がおしぼりに落ちたり、汗だくでアナウンスをしていると、側に座っているお客様がサービス用のおしぼりを渡してくれたこともありましたね。(笑)
不思議とツインオッターには、搭乗している全員の一体感があり、お客様と乗務員の距離感はほとんどなかったですね。例えばキャンディーサービスをしようとすると「大変だから座っていなさい」とお客様が気遣い、リレー方式でキャンディーバスケットを廻してくれ、戻ってきた時には差し入れのお菓子が入っていました。
フライト時に印象的だったのは、飛行機が虹の下をくぐり抜けるように飛んでいくことです。前からキャプテンが「おーい虹がみえるぞ〜」と言うと乗客も乗員も一緒になって美しい虹に見とれたものです。ツインオッターが引退するのは本当に寂しいですね。この飛行機から始めたから今の自分があるような気がします。

ツインオッターの思い出 JTA整備・小浜勝弘

当時、石垣基地に所属していた私は、ツインオッター整備士の訓練のためカナダのデハビランド社に派遣されました。ちょうど寒い時期で、到着の翌朝目覚めると一面の雪だったことが、今でも鮮明に思い出されます。ツインオッターの整備で苦労したのはサビとの闘いでした。カナダとは全く異なる高温多湿の気候、しかも海洋飛行ばかりという環境の中で、毎朝、毎夕、付着した塩を真水でおとすのが日課。今考えるとよくあんなことをしていたなと思います。ツインオッターは苦労して育てた子供のようなもの、機械屋としては整備する手ごたえ・やりごたえのある飛行機です。
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