それがいつの事であったのか、今となっては定かではないが、ある一枚の写真に私は強く心魅かれた記憶がある。
それはたぶん沖縄の、ため息が出そうな位、青い青い海を写した写真だったように思う。青い海を見ていると、なぜだか心が穏やかになる。言葉ではうまく表現出来ないが、単純な感情ではなく、どこか体の奥深い所の細胞が、海の青に包まれている。そんな感覚があるのだ。
その時から海の青は、私にとって特別な意味を持っていたのだろう。
大学3年の夏、とても悲しい事があった。初めは何もかも信じられないでいた私は、思ったより普通に生きていた。
ところが時の流れと共に、悲しみは薄れるばかりか、ついには自分が生きている事さえ許せず、言い知れぬ不安と恐怖に駆られ、何も出来ずに毎日をただ泣いて過ごしていた。これ程までに生きている事を辛いと思った事なんてなかった。
このままでは自分がダメになってしまう…何をしても楽しめず、何かをしたいという感情すら湧いて来なくなっていた時、ふと青い海を見たいと思った。その時私は、海の青に癒しを求める旅に出る事を決意した。
8月も終わりに近づいたある日、私は東京から遥か南の石垣島に降り立った。生まれて初めて訪れた八重山の風景に、ここは東京と同じ日本なのだろうかと、思わず疑ってしまう。
何よりも時間の流れが違う。市街地に流れる独特の雰囲気、今にも喋り出しそうなシーサーの目、名も無き美しいビーチの波、どこまでも続くサトウキビ畑に吹く風…。どれも1秒が長く感じられた。
島最北端の平久保崎で私は体全体に海の青を取り込んだ。一面に広がる青の風景。グラデーションのようなその美しさは言葉では表わしがたく、ただただ美しかった。
ふと気付くと、音が無い。サンゴ礁の遠浅の海は、信じられないほど波が穏やかだ。これほどまでに時間も音も無い世界を私は知らない。目をつぶって大きく深呼吸する。温かく青い空気で体中が満たされた。
しばらく経って何かの音に気付く。それは自分の生きている証拠。そのうちに、かすかな波のさざめきが、その音に呼応するように聞こえてくる。
ああそうだったのか、と私は理解していた。私の心が海の青を求めた訳を。
夕方になって、誰もいないビーチに座り、ただぼんやり水平線を見ていた。都会と同じ太陽が沈んでいく。もうすぐここにも夜の青が訪れるのだろう。物言わぬ夕凪の海はこの上なく優しく、私の苦しみや痛みを深く深く包んでくれた。
やがて太陽が水平線に完全に沈んでしまう前に、私はしっかりとその場に立ち上がり、大きく一つ深呼吸すると、遥か彼方の水平線を真っ直ぐに見つめながら「ありがとう」とつぶやいて、小さく笑っていた。
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