おきなう 2007年10月11日号
 「池田卓」主催 第1回船浮音祭り開催への思い   池田 卓

故郷『船浮』  

「東洋のガラパゴス」と呼ばれるほど豊かな自然に恵まれた西表島の一集落。
西表島内にありながら道路交通網から孤立し、船でしか渡ることが出来ず、「陸の孤島」、「離島の離島」と称される。
しかし、その不便さが幸いして、開発と観光化の波に襲われることなく、昔ながらの素朴な風景を保ち、2007年9月現在、42人(児童2人・生徒1人)が暮らす。
天然の良港は国際避難港に指定され、イリオモテヤマネコ発見の地としても知られる。
西表島の東西を結ぶ道路の最終地点、白浜(しらはま)から船で渡る集落は、網取、崎山、鹿川などいくつかあったが、いずれも廃村となった。

1979年5月、学校存続の危機に襲われた船浮村に8年ぶりに男の子が生まれた。過疎に泣く島の明るい話題は、その当時の新聞にも大きく報じられた。
記事の見出しには、「夢託し 島をあげて成長願う」「復帰後初めての男の子・卓ちゃん」。
そして、「スクスク育って島を守り継いで欲しい。島の人たちは、8年ぶりのコイのぼりに大きな夢を託している」と締めくくられた。

そのままであり続けたい。でも、このまま過疎化が続けば・・・
二つの悩みを抱えた小さな島に、大きな夢を、大きな一日を届けたい。
 
第1回 船浮音祭りの開催に向けて、池田卓さんの熱い思いをお届けします。






こんにちは、池田卓です。

僕の故郷は、沖縄県八重山郡竹富町字船浮。
西表島にある小さな集落です。
でも、道路がないため船に乗って渡るところです。

船浮の先に、『網取』、『崎山』、『鹿川』という同じような陸の孤島の集落がありましたが現在は廃村になっています。


陸の孤島で唯一残る船浮はどうなっているかというと、先日父に電話して、人口を数えてもらったところ、42名に減っていました。いつも50名くらいと言っていたのでちょっとびっくりです。
そして、小中学校には児童2名、生徒1名の合計3名が学んでいます。
もしこのまま子供が増えなければ、学校がなくなってしまうかもしれない集落です。

でも僕はそんな小さな船浮が大好きです。
僕が生まれたとき、久しぶりに男の子が産まれこいのぼりが揚げられてそのことが新聞の記事になったそうです。

ぼくは船浮のために何かしたいといつも思っています。
故郷がなくならないように、帰る場所がいつまでも残るように。



(父、米蔵です)


  
 

僕は、中学生時代まで船浮で過ごしました。
船浮には、というより西表島には高校がありませんので、中学を卒業して進学となると、石垣島や沖縄本島、本土へ渡らなくてはなりません。
子供の時代に親離れしなくてはならないのです。 

僕は小さな頃から音楽もやっていましたが、野球が好きだったので甲子園に何度も出場している沖縄水産高校へ進学し、野球部に入りました。
残念ながら僕が3年の年には甲子園にはいけませんでしたが、野球で明け暮れた高校3年間を過ごしました。

大学へも進みましたが、いろいろとあって自分の人生を考えた結果、自分の力で生きていくことにしました。そして、親からの仕送りも断りました。
でも、生活していかなくてはならないので、バイトをはじめました。

その頃もずっと音楽は続けていてオリジナル曲も持っていましたし、また、今の自分から音楽を取ったらもう何も残らない。そんな思いで音楽だけは続けていました。

でも、人生の転機というものはあるのですね。
バイト先で、とある人との出会いがあって、その人の縁でやがて僕の曲がメガネ店のCMソングに使われました。

そして僕は、音楽で生きていくことを決めたのでした。




故郷、船浮には今でも年に何度か帰っています。力をもらえるんですよ。

船浮には、イダの浜という美しい砂浜があるのですが、帰ると必ずその浜で一人で過ごす時間を持っています。浜で曲を作ったりもします。

やっぱり、どんな場所でも故郷というところは生まれた人にとって大切でかけがえのない土地ですね。

この故郷がなくなってしまわないように、そして自分にはどんなことが出来るかいつも考えています。

以前、船浮にリゾートホテルを作る話しが出たこともあったそうですが、陸の孤島がゆえに、計画も進まず、それで自然がずっと残っているのですが産業と住む場所がなければ、やがて人はいなくなってしまう。

船浮には、真珠養殖場があるのですがそこに働いている人の中には、船浮に住居がないため対岸の白浜から通っています。
その人々が家族で船浮に住めたなら、人口も増えますし行事なども活発になってくると思います。
何もないところだけど、いろんな可能性がたくさんあります。
その可能性の一つとして船浮は、3年程前から観光ツアーを受け入れています。
といっても、1日10名〜20名程度の小さなツアーです。
観光会社がレストランを作り、昼食も船浮で食べられるようになりました。
三郎さんというおじぃが、イダの浜へ行ったり、史跡を訪ねたりして好評なツアーです。

小さな船浮ですが、少しずつひとつずつ活性化できるための(人がいなくなってしまわないための)試みが行なわれています。

 


 


 

   
   




そんな集落にとって、プロのミュージシャンのコンサートは、感動的なイベントです。僕は出身地なので何度も船浮で演奏していますから、みんな慣れていると思うので、船浮で僕以外のプロのミュージシャンのコンサートを毎年開催したいと思うようになりました。
集落の人が喜んで元気になってくれて、希望をもってくれたらいいな。
そう思っています。

そして今年、第1回音祭りを開催することにしました。
経費は僕の事務所で全部負担して行ないます。

準備期間が短かったので、たくさんのミュージシャンを呼ぶことは出来ませんでしたが、賛同してくれたミュージシャンは何名もいましたから、来年からは、早くに日程を決めて、僕よりも有名な人も船浮に連れて行きたいと思っています。

テレビに出ている人が生で唄う姿は集落の人にとって新鮮で、話題が盛り上がるし、元気の源にももなりますから。

第1回音祭りは11月4日に、船浮で開催します。
当日は、石垣島から日帰りで戻ることが可能な時間帯で開催しますので、ぜひ一度船浮を訪れてみませんか?

何もないけど、何かがある。
人として大切なものを探すことが出来るかもしれませんから。
 



■『第1回船浮音祭り(おとまつり)』 公演概要
日時:平成19年11月4日(日) 12:00〜15:00
会場:西表島・船浮 かまどま広場 ※入場無料
主催:船浮音祭り実行委員会(委員長・池田卓)
後援:船浮公民館、船浮婦人会、船浮青年会、(有)船浮海運、(有)船浮観光、JTA(株)
協力:M&Iカンパニー、白浜青年会、白浜公民館、平田観光グループ、竹富町観光協会、八重山観光フェリー、沖縄スタイル、南ぬ風産業、うるま(三浦クリエイティブ)、竹富町役場、78タイフーンfm、urumax、 箆柄暦、山内プロセス、永井綾(イラストレーター)、美ら島物語、やいま(南山舎)  
※協力は現時点で賛同いただいているのみです。順不同。
 
お問合せ:竹富町観光協会青年部(竹富町観光協会事務局内) TEL:0980-82-5445

★船浮音祭りプログラム
    1、池田卓 八重山民謡ライブ  2、唐真久乃ライブ   3、池田卓ライブ

※船浮青年会によるバザーの予定もあります
 
【ところで船浮へ行くには?】
石垣空港⇒石垣港離島桟橋  
↓        ※ タクシー・路線バスなど  
石垣港⇒上原港 (上原行き欠航の場合は大原港行で)  
↓        ※ 八重山観光フェリー・安栄観光・平田観光ツアーなど  
上原港(大原港)⇒白浜港  
↓        ※ 石垣から乗船した船会社の無料送迎バス・路線バス・タクシー・レンタカーなど
白浜港⇒船浮港  
↓        ※ 音祭り無料送迎船 白浜⇒船浮11:30発 船浮⇒白浜15:20発
             定期船(船浮海運)は通常通りです。1日4往復・片道410円
船浮港⇒かまどま広場  徒歩2分



 

池田 卓 プロフィール
1979年5月24日生まれ。沖縄・西表島船浮出身。
シンガーソングライター。

人口42人(2007年10月現在)の船浮(ふなうき)という小さな集落で生まれ育つ。中学・高校は野球に没頭し、沖縄水産高校の投手として活躍するも、19歳の夏、島の芸能際に参加したのをきっかけに本格的に音楽活動を開始。2000年10月「島の人よ」でCDデビュー。この曲が天気予報のBGMに起用され脚光を浴びる。2005年には「心色」で全国デビュー。八重山民謡アルバムを含め、これまで7枚のCDを発表。その楽曲はCMにも数多く起用され、メガネ一番、ジュエリーはちみね等のコマーシャルでもおなじみ。

現在、沖縄を拠点にライブ・祭り・イベントと全国で活動する傍ら、ラジオパーソナリティーや講演活動、執筆、映画の主演を演じるなど多方面で活躍中。

【オリジナルCD】
2000/10/10 デビューシングル 「島の人よ」
2001/02/15 ミニアルバム 「島の人よ」
2003/03/25 アルバム 「この島に咲きたくて」
2004/07/27 八重山民謡アルバム 「やいまうた」
2005/03/16 メジャーデビューアルバム 「心色」
2006/04/05 アルバム 「イダティーチの風」
2007/04/17 八重山民謡アルバム「やえやまのみんなのうた」

美ら島物語 島人インタビュー 池田卓
   

唐真久乃 プロフィール

とうまひさの:東京でのメジャー活動から沖縄に活動拠点を移し、2000年〜2005年までラテンポップスユニット・ルビエスhisanoとして活動。2006年からソロ活動を再スタート。現在はライヴ活動はもちろん、琉球放送RBCiラジオ「ハピハピ☆カラー 〜ジェリービーンズな日曜日〜」(毎週日曜日、お昼12:00〜3:00)のパーソナリティとしても活躍中。

唐真久乃
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