| 詩と曲。どちらが先にできますか? |
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僕の場合は曲ですね。メロディーを先に考えて、後で詞をつける。詞はね、いつも大体テーマは決まっているんですよ。例えば、恋の歌だったら恋の歌で、こんな感じの切ないのを作ろうというふうに。それで5つぐらいテーマがある中で、メロディーをいろいろと考えるんです。そして、メロディーが浮かんできたら、あっ、これだったらこのテーマが合うなあとかとって、そこで初めて詞を考える。まぁ、いつもこの順番というわけではないですが。 |
| 歌詞をつくる時は、自分の経験やその時の情景を思い浮かべて? |
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そう、ほとんどが自分の経験ですね。僕は本当に型にはまるのが嫌なので、そこは自由に。情景のあとに、すぐセリフが出てきたり、生活について歌ったと思ったら次のシーンでは情景を歌ったり。もうバラバラ。見る人が見たら「なんだこりゃ」って感じるかもしれないけれど、こっちへ行ったりあっちへ行ったり、思うがままにやっています(笑)。 |
| そうやって自由に作った曲を歌うには、やっぱりミャークフツ(宮古方言)が一番合うのでしょうか? |
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そうですね。合う・合わないということよりも、しっくりくる、ということだと思うんですよ。僕の場合、標準語でやるとどうしてもぎこちない。例えば、「切ない」なんて言葉は、普段は絶対使わない。それなのに、無理して「切ない」なんて歌ったら、自分もぎこちないし、聴く人にも伝わらないんじゃないかと思うんですよ。でも、同じ気持ちを、僕が普段使っている言葉でだったら、もっとダイレクトに伝えられる自信がある。格好いい言葉、しゃれた言葉ではないけれど、普段使っているだけに、「あっ!」と、こうグッと来るものとして伝えられる。 |
| 自分の生の言葉、ということですよね。 |
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生の言葉ですね、本当に。 |
| 確かに活字の中でならともかく、普段の生活の中で「愛しているよ」と言う機会はあまりない。 |
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「愛している」か(笑)。そうね、だから何事も中央が基準になっているっていう事が多いと思うんですけど、そういうんじゃなくて、標準語は標準語で当然なきゃいけない。だけど、それと比較してどうこう言うのは、ちょっと違うんじゃないかなと思うわけです。確かに標準語には語彙がたくさんあって、しゃれた使い回しもいっぱいある。それに比べたら地域の言葉はやっぱりちょっと野暮ったいねなんて、比べるとそうなるんです、どうしてもね。でも、比べようがないわけですよ。それぞれに良さがある。僕の場合は、宮古に生まれて、宮古の言葉を使って生きているわけで。だから、その土地の言葉で歌を作るというのは自然の流れなんです。もう民謡と一緒ですね。生活をそのまま三線で歌にしているという。ただギターでやっているということだと思います。 |
| そのほうが気持ちも入りやすい? |
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入りやすいですね。あらゆる感情がストレートに出せるので、方言で作ってよかったなと思います。 |