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池田卓 Interview
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島を離れて

西表島には高校がないので、中学を出るとみんな石垣島か沖縄本島の高校へ進学します。15歳で生まれ育った土地を離れて暮らすようになるんですよ。
僕は、野球をやりたくて「沖縄水産高校」へ入学し、野球部に入部。寮で暮らし始めました。しつけも厳しかったのですが、それが大切な人生勉強の時間だったと思っています。
高校生活の3年間は、ほとんど野球一筋の生活でした。3年の夏の大会、甲子園予選が終わるまでずっと。残念ながら僕らの学年は甲子園には行けなかったんですけどね。

本島での高校生活の中で、ふるさとを離れて暮らしていくうちに、離れてはじめてわかる島のよさというものに気づき、目覚めていきました。でも、そのころはシンガーになろうとは、まったく思っていませんでした。



シンガーになるきっかけ

19歳の夏休み、島の芸能祭に出ることになりました。そのときは自分で作った曲を唄ってみたいと思っていましたので、島を離れた人へのメッセージをこめて作った曲を唄ったんです。そうしたら、みんな喜んでくれたので、やっぱり音楽をやっていてよかったなぁと思いました。

唄っていいなぁ。そうだ、唄で飯を食おうかな?!
そう思いたったものの、職業の中でもとても狭き門を潜り抜けていかなくてはなりません。
いきなり音楽で食べていけるわけがありませんから。
でも、自分で決めたことだから自分の力でやり遂げたい。
そう思ったので、親からの仕送りも断りました。とにかく自分の力でやってみたかったんです。
それから居酒屋でバイトをして生活費を稼ぎつつ、コツコツと曲作りに励んでいました。

2000年10月、「南ぬ風レコード」からファーストシングルとして「島の人よ」をリリースしましたが、夜の仕事は続けていました。でもその中で出会った人が僕の唄を気に入ってくれて、その縁で、この曲「島の人よ」をテレビの天気予報(メガネ一番提供)のBGMとして起用してくれたんです。そこからミュージシャンとしての活動が本格的になっていきました。

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