美ら島物語
けいさい予定 サイトマップ
美ら島検索
おきなわの歌姫 神谷千尋
プロフィール
  1982年8月14日、民謡一家として名高い神谷ファミリーの一員として、沖縄本島に隣接する津堅島に生まれる。3才で初舞台。叔父で沖縄民謡歌手として高名な神谷幸一に師事し、高校3年生の時に琉球民謡協会コンクールで最高賞を受賞。また幼少時より数々の舞台に立ち、テレビ・ラジオ等の出演も多数。2003年4月16日、1stアルバム「美童しまうた」をリリース。その清らかな歌声に魅せられた人多数。現在、最も注目を浴びている女性アーティストである。(2003年8月11日取材)

出会いは、一瞬だった。
五月の那覇。ひどく殺風景なビルの一室で、何気なく見上げたテレビの画面。その中に、彼女はいた。三線片手に歌う代表曲、「空よ海よ花よ太陽よ」。その歌声は本当に清らかで、凛としていて、一瞬で恋に落ちてしまった。神谷千尋、21歳。多くの人に、今、もっとも聴いてほしい女性歌手である。

いつも、そばにあった「歌」
1982年8月14日、沖縄本島中部に位置する勝連町津堅島で神谷千尋は生まれる。叔父は民謡歌手として高名な神谷幸一。民謡一家として知られる「神谷ファミリー」の一員として、神谷千尋も叔父から民謡と三線の手ほどきを受け、3歳で初舞台を踏む。


「叔父の影響で家族も皆、民謡を歌っていたんですよ。で、私も気がついたら歌っていました。今は歌を仕事にしているけれど、まさか自分がこうして歌を仕事にするとは思っていなくて…趣味というか好きでやっていたので」


「好きでやっていた歌」で彼女はめきめきと頭角を表し、高校3年生の時に、琉球民謡協会コンクールで最高賞を受賞する。持って生まれた才能を余す事なく発揮している様に見える彼女にとって、歌とはどんなものだったのだろう?
いつも、そばにあった「歌」
「子供の頃はですね、歌い終わった後にご褒美がもらえるっていう事で歌っていたんですよ。それくらい、ただ歌っていた」


神谷千尋にとって、歌とは何ら「特別」なものではなく、「当たり前」のもの。空気と同じように、いつでも歌が生活の中にあり、息をするように歌ってきた。21歳の今は、民謡を歌っている事を、誇りに思っていると言う。しかし、実を言うと、この事を、友達に明かすのが恥ずかしい時期もあったという。
「中学・高校の時とかは誰にも言わなかったんですよ。民謡やっているって事を。民謡を歌っているんだけど、普通に(リスナーとして)聞く音楽っていうのはポップスとか洋楽とか、皆と同じ様なものだったので、古い歌を歌っているのは、どこか恥ずかしいというのがずっとあって。今だったら、夏川りみさんとかBEGINとか出てきて、本土の方も聞きやすい音楽になってきていると思うんですよ。でも、当時は正直言って“古臭い音楽”って思う気持ちがありました」


しかし、高校を卒業する直前、彼女に転機が訪れる。


「沖縄の若手女性歌手を6人集めてコンサートを開こう、という事になったんですよ。でも、私だけ自分のオリジナル曲というのを持っていなくて。その時に、初めて私もオリジナル曲をいただいて、皆さんの前で歌うことができた。自分の歌っていうのを皆に聞かせる事は楽しいし、幸せだなと思って、この時にやっぱり歌でいきたいなぁって思ったんですね」


ファッションも好きで、高校卒業後しばらくはファッション関係の学校に通い、デザインの仕事に就く事を志していた彼女。しかし、この時の経験が結果として、彼女を歌の道に進ませる事になる。


「やっぱり考えてみたら、自分のずっとやってきた事、積み重ねてきた事が活かせるっていうのは、すごい事じゃないかなと思ったんですね」
次へ




美ら島物語島人神谷千尋
この記事に関するご意見・ご感想をこちらまでお寄せ下さい。