美ら島物語
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旅の途中 松永太郎
必要としてくれる人がいる。だから、ここにいる。 南島詩人である平田さんの運転手もつとめた
車内での語り合いで、意気投合した二人
勝連での子供たちとの出会い
やがて舞台を体験し、関わっていくことに。
「阿麻和利」のメンバーと出かけたキャンプ

「平田さん」とは、以前「島人」にも登場して頂いた、南島詩人の平田大一さんの事。当時、小浜島から沖縄本島に出てきたばかりで車を持っていなかった平田さんの運転手役を、松永さんがつとめた時期があった。
松永さんのキャンプと、平田さんが小浜島で手がけてきた「キビ刈援農塾」。
方法論は違えど、「人を育てたい」という根っこの部分が同じだった二人は、すぐに意気投合した。今までの事、そしてこれからの夢。やんばるでの講演会に向かう車の中で二人は熱く語り合った。

そうしている間に、勝連の話があったんですよ。
「子供達100名で舞台を作るんだけど、勝連に知り合いがいるわけでもないし、もし興味があったら一緒に行かない?」って言われて。それがきっかけで、僕も勝連に通うようになりました。
当時の僕は何もできないって言っちゃ、本当に何もできないんですよ。楽器も今ほど弾けないし。子供達に太鼓を習っていたぐらいだし。
それでも、三ヶ月くらい皆で舞台を作っているうちに、一言では言い表せない感動があって、またやりたいな、って思ったんです。
でも、その時は1回きりの公演という予定だったから、大成功は大成功でしたが、そこで1回終わったんですよ。
でも、子供達が、「もう1度舞台をやりたい!」と言って、僕達を呼び戻してくれたんです。舞台に参加した130名全員が、感想文を書いて教育長(勝連町の上江洲安吉氏)に直訴してくれたんです。彼らから感想文を受け取った教育長は、「そこまで言うなら、何とかしよう」とその場で即決してくれました。

そして、それとちょうど同じ頃に、勝連町に「きむたかホール」が開館し、平田さんがホールプランナーに就任したんです。当時、僕は平田さんの運転手をしていましたけれど、ホールに自分の机があるわけじゃないから、昼間は図書館に行って、子供達相手に読み聞かせをしたり、津賢島でミニコンサートを開いたりしていました。そんな事をしているうちに、勝連町でも、僕が学生時代に学んでいたレクリエーションの様なものを子供達のためにやろう、というプロジェクトが立ち上がり、その講師として学校の説明会などに呼ばれる様になりました。

『阿麻和利』という舞台を作っていくには、子供達自身が自分達が生まれ育った地域を知る事が必要なのではないかと考えました。
浜比嘉島に行って、浜比嘉に伝わる伝統芸能の「チョンダラー」を保存会の会長さんから習ったり、藪地島の「ジャネー洞」という洞窟を探検したり。夏休みに5泊6日のキャンプもしました。皆で曲を作ったり、海を眺めて語りあったり…そういう事を通して、子供達との関係がより近くなりましたね。そう、その時キャンプに参加した子達が、今の『阿麻和利』の中心メンバーです。

「阿麻和利」は、楽屋も賑やか
「KIMUTAKABAND」の始まり
彼らへ恩返しを、の思いから。

なぜ、ここまで彼らと深く関わろうと思ったかというと、やっぱり、子供達が自分で電話をかけて僕と平田さんを呼んでくれた、というのが大きいと思います。勝連だけですからね。子供達が直接、というのは。ストレートなんですね。本人達が「この人達が必要だから」って言ってくれた。僕は、子供達にとって有名でも何でもない。もちろん、お互い下心なんか何にもない。でも、彼らは自分を呼んでくれて、自分はそこで必要とされた、という気持ちが強かったんじゃないかなぁ。

あの、渡嘉敷島での予感…。何かに導かれた、という感じもするけれど、やはり原点は必要とされた、という事ですよね。

そして、平田さんが演技指導なら、僕は音楽で子供達にビックリを仕掛けよう、と思ったんです。初めは、お客さんに対してじゃなくて、演じている子供達を喜ばせたかったんですね。
当時は、色んなミュージシャンの方の所に行って、何でもいいから楽器をやらせてくれ!って言って。必死でした。もう、武者修行ですね(笑)。
でも、そうこうしているうちに、音楽をやりたいっていう仲間が増えていったんです。それが、KIMUTAKABANDの前身です。

もともと音楽は好きでオールジャンル、何でも聴いていましたけれど、自分のやりたい事や得意な事を表現するために、舞台に関わったわけではないんです。
人が人を呼んでくれた。
彼らに恩返しをしたい、どうやって彼らを喜ばせよう?
その思いが、自然に僕を音楽に進ませてくれたんじゃないかな、って思っています。


こんな風にして来たから、「将来何になりたいの?」って聞かれると、すごく困ります(笑)。その時、その時でやりたい事、自分にしか出来ない事を選んできた結果が今だから。だからこそ、子供達が「これをやりたい!」って思った時に、それが叶えられる社会を作る手助けが出来たらな、と思います。

今年は、『大航海レキオス』という新しい舞台が控えているので、その事で頭が一杯です。でも、今までと違った、まったく新しいものを作ろう、というのではなくて、今まで作ってきたものをさらに進化させて、さらにいい曲を作ろう、さらにいい雰囲気を作ろう、という感じですね。出来る事しか出来ないけれど、出し惜しみはせずにやって行きたいって思っています。

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「大航海レキオス」へ向け、旅を続けていく




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