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旅の途中 旅の途中
プロフィール
1974年6月3日、鹿児島県生まれ。筑波大学大学院修了。1999年より沖縄在住。 2004年3月まで勝連町・きむたかホールのホールプランナーをつとめ、現在は「あまわり浪漫の会」理事長。与勝地域の子供達による『現代版組踊・肝高の阿麻和利』の音楽監督のほか、2005年1月に沖縄本島・宮古島・石垣島で上演予定の琉球放送(RBC)50周年記念イベント『現代版組踊・大航海レキオス』の音楽監督もつとめる。(松永太郎さんのインタビューは、「組踊 肝高の阿麻和利の挑戦」からもご覧いただけます)
松永太郎さん
   関連リンク
  組踊 肝高の阿麻和利の挑戦  あまわり浪漫の会公式ホームページ
  文・高橋百合香(美ら島編集部)
「KIMUTAKABAND」として演奏も行う 「KIMUTAKABAND」として演奏も行う

飄々として、風の様な人。
それが、松永さんに対する私の印象。
いつも、なかなか忙しそうだけれど、会うと「朝から海に行ってきて」とボサボサ頭で気持ち良さそうにしている。

松永太郎さん、29歳。

「美ら島物語」でも何度か紹介している、与勝地域の中高生達による『現代版組踊 肝高の阿麻和利』。その音楽監督をつとめ、劇中で使われる音楽の全てを演奏している「KIMUTAKABAND」の中心メンバー。今年は、2005年1月に上演予定の琉球放送(RBC)50周年記念イベント、『現代版組踊・大航海レキオス』の音楽監督に就任。その一方で、年2回、子供達のためのキャンプを開催し、地域のリーダー育成に力を注いでいる。

「音楽家」という肩書だけでは括れない、幅広い活動のフィールドを軽やかに駆け抜ける松永さん。
「人生は旅のようなもの。そして、今はその途中」
そう語る松永さんに、沖縄に来たきっかけ、そして、今現在の活動に繋がる出会いについてお話をうかがいました。

沖縄に住もう、と思った瞬間 現場主義のゼミで、アウトドアな実習を行っていたという松永さん
今も日常的に子供たちと接している
渡嘉敷島の旅が、直感を運んだと語る
沖縄へ来てからの半年間、そして平田さんとの出会い

大学では、野外教育を専攻していました。子供達を連れて、キャンプやレクリエーションを行う、というものです。
実践主義、現場主義のゼミだったので、年間100日以上は外で過ごしていましたね。教育学部だったので、先生になろうと思っていました。
子供が好きかどうかは、あんまり意識した事ないんですけど、原点は大学時代ですね。今、僕が勝連でやっている『阿麻和利』にしても、リーダー育成にしても、子供との関わり方やグループの作り方は大学時代に学びました。

旅は、学生時代から好きでしたね。暇を見つけては、自転車を担いでどこかへ行っていました。海外にも行きましたけれど、歩いて、とか、自転車を持って、というのはもっぱら日本国内。どこへでも行きましたよ。山や海、自然のある所なら。沖縄にも年2回は来ていました。

沖縄に住もう、と思った瞬間の事は、すごくよく憶えています。22か23の頃かな。あのね、渡嘉敷島を旅している時に、朝起きて、誰もいない海でボーッとしていたら、
「あ、この土地に住んでみたら、自分はどういう自分になるんだろう?」
そんな予感があったんですね。それが思った瞬間。直感ですね。

大学院修了後は、研究職に就く仲間が多かったんですが、それをするには、論文を書いて、席が空くのを待って、という事をしなければならないんです。でも、僕は、そういうのが苦手なんですね。待てないんですよ。もう、何か次の事をしたいんです。それで当てもないのに、担当の先生に「僕は沖縄に行きます!」って言いました。
「沖縄で何するんだ?」「何とかします!」って。それで来たんですね。

沖縄出身の先輩がいたので、その先輩を訪ねました。当時、先輩達が作っていた、子供達のための自然体験と音楽のサークルを手伝っていました。ちょうどその頃、ディアマンテスが「あしびなーキッズ」という、子供達のための音楽と演劇のワークショップを主宰していて、ボランティアスタッフを募集していたんです。それに僕は参加して、そこで平田さんに出会いました。沖縄に来て半年くらい経った頃です。

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