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ポップス調にアレンジされた軽快な三線の音色。じっと聴いていると、あの底抜けに美しい、宮古の空と海が眼の前に広がるようだ。下地さんが歌うこの「太陽(てぃだ)の歌」は、昨年NHK番組「みんなのうた」に取り上げられ、視聴者からの相次ぐリクエストで今年もまた全国に流された。地方局発の曲としては異例の再放送だ。故郷が好き。こんな単純なことを、何のてらいもなく言える人が、今、日本にどれだけいるだろうか。みずからを「アイランダーアーティスト」と呼ぶ下地さんは、宮古に生まれ、宮古に生き、そして宮古を歌い続ける。尽きることのない島への想いが、彼の活動の原動力となる。
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「島は良い。でもただ守るだけではだめ。若い人が興味を抱くような新しい可能性を見いださないと。たまたま僕には音楽という方法があった」。
宮古の方言やことわざ、民謡などを巧みに生かしたオリジナル曲を次々に発表し、9年目。今では、運動会など島のイベントで、下地さんの曲に合わせて島民がこぞって踊ったり、島のお年寄りがわざわざ民謡のアレンジを頼みにやってくる。
「実をいうと、危機感なんですよ」。歌に込めたメッセージをうち明ける。離島であるがゆえに、宮古は沖縄本島とは異なる、独自の文化を育んできた。が、「本土化」「沖縄化」の流れの中、いつしか島の子供たちは宮古方言が話せなくなり、本島の芸能であるエイサーを宮古の伝統文化と勘違いするまでに。
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「宮古には宮古の独自の言葉があり、エイサーではなくクイチャーという踊りがある。言葉が消えることは、故郷が消えることです」。
今年44歳の下地さんは、昔ながらの宮古の原風景を知る最後の世代。「宮古の子どもたちが足もとを見失っている」。東京で音楽活動をしていた下地さんだったが、いつしか自分でも意識しないうちに、作る歌詞や曲に宮古の風景や思い出を織り込んでいた。それに気づいたときが、島に戻る転機となった。
アーティストとしてみる宮古は、商業的には決して十分な土地ではない。だが、「人の笑顔、言葉、ぬくもり。親や先祖を大事に思う精神文化。風や太陽を肌で感じとることのできる自然。宮古にしかない、宮古だからこそあるもの。それらすべてがあって今の僕があるし、それらすべてが僕の歌になっていく。自分が何をすべきか、島が教えてくれるんです。戻ってよかった。いま心からそう思う」。
来年、宮古での活動10年目を控え、その準備に忙しい。「新しいクイチャーの曲を作ってるんですよ。何種類も作って島中が楽しめるようなクイチャー祭りをやってみたい。願わくば、青空の下、大地を蹴って。子どもたちに『宮古って結構おもしろい』って思ってもらえればうれしいな」
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※クイチャー 豊年祈願、雨乞いを起源とする集団舞踊。宮古全域に様々な形態で引き継がれている。動作は単純で本土の盆踊りに近いが、南国らしい力強さと躍動感がある。最近はもっぱらレクリエーションの場で踊られる。
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