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「『究極の布』の里に生まれてしまった、そういう宿命なんです」
宮古織物事業組合の専務理事、垣花貞子さんは静かな口調で語り始めた。 江戸時代には薩摩藩への貢納布として、厳しい条件の元で納めさせられた歴史を持つ宮古上布。税制度は250年にわたり宮古島の女性を苦しめ続けた。 だが皮肉にも、そんな歴史が高品質な『究極の布』を産み出してしまったのだ。 その後は地域を支える産業となった。だが、現代の私たちには想像できない過酷な労働だったのだろう。 |
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「もうあのつらい思いをするのは嫌……」
糸の績み手不足で、以前糸績みをやっていた熟練の高齢者に頼みにいったら、そう断られたのだという。 彼女のどんな記憶の中に、宮古上布は織り込まれているのだろう。素晴らしい工芸品に関わることが、富や幸福をもたらすとは限らない。 |
それでも守っていかなければならない。人為の限りを尽くした布を産んでしまった宮古島。関わってしまった人は、布の命の糸を紡いでいく宿命にある。
「私たちは、糸の道をつくっているんです」
そう垣花さんは表現した。
だが守っていくのは簡単なことではない。人材不足、そして生産反数不足。宮古上布は熟練者でも1日2〜30センチしか織ることができないという。
「ベテランで1反織るのに4ヶ月、遅い人になると1年に1反織ることができないんですよ」 織り手は20名足らず。平成14年度の生産反数は、たった13反だったという。 反数を増やそうにも、工業生産の世からは想像を絶する手作業の布だけにそうはいかない。その状況が『究極の布』に稀少価値が生じさせ」、市場価格を上昇してしまうこととなった。 |

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