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3.正殿の表と奥
首里城の中で最も重要な空間は内郭でありその中心は正殿であった。 正殿の表側に広がる部分は前(めー)と呼ばれ、政治・行政・公的行事が行われた男性だけの世界であった。
正殿の裏側は、御内原(うーちばら)と呼ばれ女性中心の空間、いわば「奥」の世界。また国王一家の男性以外は立ち入り禁止で、国王のプライベート空間でもあった。城内の重要な儀礼は正殿前広場の御庭(うなー)で開かれ、1年のうち最大規模の儀礼は朝賀の式(朝拝)であった。 これは明(中国)の制度に倣ったもので、元旦、冬至に国王はじめ大臣・役人達が紫禁城を遙拝した。伝承によるとこの儀式の開会宣言は古い福建語を使っていたという。  
また、中国皇帝が琉球新王の任命を行う冊封(さっぽう)の式典「冊封の宴」もここで行われた。中国皇帝は朝貢国の王が代わると、使者を派遣して新王を任命する。これを冊封といい、その使者を冊封使と呼んだ。


冊封使歓待の席で演奏された宮廷音楽・御座楽の再現


4.歴史の終焉
1609年、薩摩藩島津氏の侵略により琉球は薩摩藩の支配化におかれるが、王国としての体制は保ち、首里城も王国中心地としての機能を保ち続けた。しかし1879年に明治政府が首里城の明渡しを迫り、王は臣下とともに継世門より城を出て中城御殿へ移った。これで王城としての首里城の歴史は終わった。
1945年には米軍の猛烈な攻撃により全焼、城壁も破壊された。1992年、沖縄県、政府関係機関の連携のもと首里城は復元された。






参考文献
真栄平房敬 首里城物語 1989年 沖縄文庫
沖縄県立博物館友の会 冊封使 1989年  沖縄県立博物館
名嘉正八郎 図説沖縄の城 1996年 那覇出版社
湧上元雄・大城秀子「沖縄の聖地」1997年 むぎ社
「琉球王国のグスク及び関連遺産群」世界遺産登録 記念事業実行委員会
「琉球王国のグスク及び関連遺産群」 2001年 沖縄県教育庁文化課

(2015.05.25更新)