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| 護佐丸は、1458年・中秋の名月の晩に、阿麻和利を総大将にした王府軍に滅ぼされる。阿麻和利をけん制する役であったはずの護佐丸が、反対に謀反の疑いを受け「勅命に向かって矢を放つ理はない」と応戦もせず、ましてや本意を申し開きすることもできないまま、婦人、長男、次男もろとも自害したという。 |
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| 首里に向かって遥拝した拝所。城内にはこの他8箇所の拝所がある。 |
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| 史書「中山世譜(1701年)」によれば、琉球王・尚泰久(しょうたいきゅう)に「護佐丸に謀反の動きあり」と進言し王を騙したのは阿麻和利の仕業。最大のライバル護佐丸を退け琉球王座を狙うための策略だったとされている。そしていよいよ阿麻和利は王府打倒に取り掛かるが、事前に王府内に情報が伝わっていたため、大敗し勝連城とともに滅ぼされた。この「護佐丸・阿麻和利の乱」は、琉球歴史上最も有名でかつドラマティックな伝説として知られている。また、護佐丸は「忠臣」、阿麻和利は「逆臣」という固定した見方も強い。しかし近代以降、歴史家たちによりこの定説の見直しが進められている。 |
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