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グスク時代と呼ばれている時代に、沖縄各地の有力な按司(あじ)が勢力争いをして、最後に首里城が生き残ったのですが、首里城は200以上ある沖縄の城(グスク)の内容を兼ね備えそれを深化させたものと言えます。
具体的には、どのグスクも正殿を中心とした造りになっており、正殿の前にある広場がある。
首里城では「御庭(うなー)」と言いますが、これがグスクのもっている特長のひとつです。
ここでは政治・行政的なイベントをしたり宗教的な祭りをしたり、とても大事な聖なる広場で、グスクには絶対必要な空間なのです。
もうひとつ重要なのは、グスクの中に必ず宗教的なポイントがあり、神々が下りてくるような場所として相当りっぱな施設が設けられている。
単に政治行政センターだけではない、聖域としての機能を兼ね備えている。
この他に、小高い丘の上にあるという地形的なもの、城壁の造り方に見られる建築的なものもありますが、私は、先に上げた点がグスクの共通項として最も重要なことと考えています。
その中でも首里城は約500年間も実質的に機能してきたという点で、様々な歴史を蓄積させた「長生きの城」だったのです。 |
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今帰仁城は、首里王府から派遣された北山監守が置かれその行政機能や監守の住居も兼ねた場所になりました。
しかし薩摩の侵略の時に真っ先に攻撃を受けたのが今帰仁城で、その時に北山監守も戦死します。
そして琉球が薩摩の支配下に入って以降は北山監守が置かれなくなり、その後の今帰仁城は廃墟となりました。
中城城は、少し変わっていまして城の中に間切番所(まぎりばんじゅ)と呼ばれる、現代風に言うと村役場が置かれ、あの地域の行政を行っていた。
勝連城と座喜味城は、そのまま廃墟となって後利用はされませんでした。 |
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