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(旧暦8月15日) |
琉球王朝時代、中国皇帝の使者「冊封使(さっぽうし)」をもてなす為に行われた七宴のひとつ。
旧暦の8月15日、十五夜・中秋の名月の下で行われます。
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琉球王朝時代、中国皇帝の使者「冊封使(さっぽうし)」をもてなす為に行われた七宴のひとつ。
旧暦の8月15日、十五夜・中秋の名月の下で行われます。
冊封とは中国皇帝が使者を派遣して琉球の新国王を任命する事で、明代(1368年建国)より顕著になった、中国皇帝を頂点とした国内及び周辺諸国(朝鮮、琉球、シャム、インドネシア等)との君臨関係を秩序した体制を冊封体制と言います。 |
冊封使は皇帝の使者として船で朝貢国に赴き任命式を行いました。琉球に派遣された冊封使は、平均500名程度で、福州から5月〜6月の南西の季節風を利用して台湾、久米島、慶良間島を経て約11日間ほどで那覇港に到着。帰路は、9月〜11月の東北の季節風を利用して中国に戻っていったそうです。
このように4〜6ヶ月間、琉球に滞在した中国の使者をもてなす為に、滞在中7回の招待行事を催しました。
冊封使の残した報告書によれば「琉球は朝貢国の中でも中国文化が普及している」とされており、冊封使のこのような長期滞在やそれをもてなす為の料理、芸能などが琉球文化の形成
・洗練に大きな影響を与えたと考えられます。
中秋の宴は、首里城内に設けられた仮設舞台での琉球芸能観賞の宴で、現在行われている中秋の宴でも、旧暦8月15日の前後3日間、伝統芸能披露や民謡ライブなどが行われます。また、首里城関連の儀礼行事に参加する国王・王妃役を選出するコンテストが開かれ、毎年一般公募により、新国王・王妃が選出されます。
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