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北と南のラブストーリー
北と南をつないだ男−菅原邦典さん−
2.ゆいまーる精神

「岩手34号」の評判はまたたく間に、岩手県全土に広まり、噂を聞きつけた当時の岩手県農政部長・高橋洋介氏(現副知事)から、「菅原君、ぜひ、その岩手34号とやらを見たいので案内してくれ」と電話があった。

「高橋部長は朝7時半か8時過ぎごろ、朝ご飯も召し上がらずにいらっしゃいました。私が田んぼにご案内したのですが、一目見るなり、『すごい実りだな。おい君、これをどうにかすることができないんだろうか』とおっしゃいました。私は、冗談を含めて『東南アジアあるいは台湾あたりに持っていけばいいんじゃないでしょうか』と話しました」

視察の後、菅原さんは朝食をすすめたが、多忙な部長はとるものもとりあえず、県庁に帰っていった。そして、当時の岩手県副知事・濱田明正氏と話し合いを重ねた後、石垣島でなら生産が可能なのではないか、という結論を得る。そして、農業試験場に「今取れた種もみを石垣島に持っていき、すぐに生産を開始し来年の5月下旬、遅くとも6月半ばまでに田植えができるように種もみを採ること可能かどうか、技術的に検討しなさい」という指示を出した。前例のない指示に驚き、戸惑いながらも、一週間後に農業試験場は「条件さえ揃えば、技術的には可能である」という結論を提出する。

「ならば、やるか」と決断が下されるのにそうは時間はかからなかった。すぐさまチームが組まれ、高橋農政部長が「岩手34号」を視察したおよそ3週間後の9月14日、当時の農蚕課課長補佐澤田行一氏、農業試験場技術部長萩原武雄氏、水稲育種課長畠山均氏の3名が協力要請と調査のために沖縄に飛んだ。

「沖縄にうかがう前に、課長補佐の澤田さんが沖縄と連絡を取り始めたのですが、その時に50ヘクタールの田んぼで種もみを作らせてもらえないかとお願いをしたんです。これについては面白いエピソードがありましてね。当時、この話を受けて下さった沖縄県庁の方もまさか50ヘクタールとは思わずに、
“え? 5ヘクタールですか? 50アールですか?”
“いや、岩手は50ヘクタールお願いしたいのですが”
“ああ、5ヘクタールですね。50アールですね”
という行き違いがあったそうです。こちらは50ヘクタールでお願いしているのに、沖縄の方々は“岩手は単位を知らないんじゃないか”(笑)と誤解されたようです。まあ、せいぜい50アールだとか、いくら大きくても5ヘクタールだろう、5町歩だろうと思われたんでしょうね」

50ヘクタールといえば、東京ドーム約10個分の広さである。それほどの広さの水田は沖縄本島にはなく、当初の計画通り、石垣島で増殖を行うこととなった。しかし、それは石垣島の全水田の5分の1を使用することでもある。当時の沖縄県の米の自給率は3.6%。残りは岩手をはじめ本土の米を食べているという厳しい状況であり、岩手が水田を借りてしまうと、自給率はますます下がる。一体、私達はそんな事をしてもいいのだろうか、と岩手県関係者は頭を悩ませた。しかし、当時の沖縄県農林水産部長赤嶺勇氏は「他の県がお困りになっている時は、お助けするのが当然です」と言って快諾した。そして、石垣島の農家の方々も、「同じ農家の痛みとして、このときこそ協力すべきである」と言って、島内の一番良い田んぼを岩手県のために用意した。困った時はお互い様という姿勢、これぞまさに沖縄の「ゆいまーる精神」ではないだろうか。

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(2003.02.13掲載)




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