|
田植えは、平成6年1月7日から始まり、17日には50ヘクタールの水田全ての田植えが完了した。順調だった。しかし、これで安心、という状態にはまだ遠かった。菅原さんは様々な試練を乗り越えなければならなかった。その一つは意外にも、同胞岩手県民の声だった。
「岩手の稲は、5月に田植えをして、どんどん暖かくなって、日照量も増えていくという気象経過の中で育っていくわけです。ですが、沖縄では12月に育苗して、新年早々に田植えをする。これは、沖縄の1年間の気象の中では一番日照量のないときに田植えをして育てなければならないわけですから、とてつもなく条件が悪いのです。最高の環境で育った岩手の稲とは、当然、生育にも差が出るわけです。しかし、これは沖縄の稲が悪いわけではなく、全く逆の気候を利用しながら生育させているのですから、むしろ褒められるべきことなんですよ。ところが、岩手から来る人間は、自分たちの稲を見て沖縄の稲を見るものだから、“なんだ、こんな小さな稲! 何を指導しているんだ!”とか“何をやっているんだ”とか“もっと肥料をせい!”とかいろいろな意見を出すわけです。でも、まぁ、それは軽く受け止めて、どんな意見があろうと、“いやあ、いいんです。今はこういうふうにしかできませんから”と言っていました。それで夜、飲み会なんかに誘われれば、ちょっと行って、“こういう事情ですから、こういう生育しかしないんですよ。だから、岩手に帰って、あんな小さな稲じゃだめだなんて報告しないでくださいよ”と釘を刺したりしました(笑)」
また、3月に石垣島を襲った台湾坊主(たいわんぼうず)も菅原さんを悩ませた。
台湾坊主とは、3月の終わり頃、ちょうど冬から春の変わり目に吹く風速20メートルから30メートルの強い風のことだ。西の空は真っ黒な雲に覆われ、海は荒れる。
「しかし、台風の時に風速40メートルから50メートルという風を経験している人にとっては、こんなのは風のうちに入らないわけです。当時、私は常に1週間先、10日先、半月先の気象経過を石垣島の気象台に確かめながら、農協や普及センターと相談して栽培管理を行っていましたが、皆、“穂が出るには少しきついかもしれないけれど、大丈夫”の一点張りでした」
大丈夫、と言われても、穂は大変な勢いで揺れている。幸い、この時は幼穂形成期で、穂が小さかったからさしたる影響はなかった、だが、これが成育の進んだ大きい穂だったら話は変わっていた。強風にあおられ、稲と稲がこすれあって打撲傷を受ける。まるで金槌で叩いてしまった指の様に真っ黒で、実りのない穂、いわゆる「かっぺ」の穂になってしまう。
「50ヘクタール全ての田んぼを守るなんてことは、とてもとてもねえ。一株や二株であれば、鉢を抱っこして家に入れるということもできるんですけれど、50ヘクタールじゃそれはできませんから、田んぼに行ってみてもしょうがないと。穂作りに入ってはいるけれど、まだ大きな穂じゃない。小さいから、この程度の風であれば大丈夫だという確認をして家に帰ってくれば、“本当? 本当に大丈夫?”と家内に言われてまた不安になる。けれども、まあそれは30数年勤めた経験がありますから、大丈夫だと。それより一番心配したのは、3月20日過ぎ、22、23、24日ですが、南国沖縄の石垣といえども、最低気温が12.5℃の日が3日入ったのです。明け方の3時、4時頃でした。皆さん眠っている時間帯なので、あまり気がつかれませんでしたが、とても寒かった。私が石垣で生活していて、一番寒いなと感じたのもこの時でした」
昨年の大冷害の時にも豊かな実りを見せた岩手34号である。耐冷性の高さは証明済みだ。深水(ふかみず)管理(注1)もしてきている。しかし、自然相手では何が起こるか誰にも予想がつかない。「大丈夫だな」、「大丈夫だな」と念を押すように確認しながら、気温が上昇するのを待った。
(注1)深水管理:田んぼに約15pほど水を張り、稲の分けつを抑制して、その代わりに太くて丈夫な苗をじっくり育てること。
|