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そうして、石垣島に南国らしい日差しが戻ってきた4月1日、菅原さんの前に穂は姿を現した。すぐさま、岩手、沖縄両県庁にFAXで「出穂(しゅっすい)」の知らせを入れた。折りしも、新年度の始まりの日である。誰もが「出穂」の知らせを、希望を持って受けとった。
しかし、4月20日、状況は悪夢へと一変する。その日、たまたま調査に行った南清さんの田んぼで、菅原さんはその悪夢に直面する。
「南さんに何気なく言われたんですよ。“岩手の稲っつうのはなかなか頭を垂れませんねえ”“ええ? ああ、俺みたいですみませんねぇ”“いや、そんなことを言ってんじゃないんだよ”なんていうやりとりをしました。そして、午後3時頃でしたか、何気なく畦に座って南さんの田んぼを見ていた時に、“あれ、ちょっと待てよ”と。穂がね、透き通って見えるわけです。穂の向こう側がみんな透けて見えるんです。“あれぇ、ちょっと待てよ。あーっ……!”もう、一目で不稔(ふねん)ということがわかりましたね」
不稔とは、“実が入らず”ということ。立派に育ったかのように見えた穂は、中がからっぽだった。
「あの時、3月下旬の12℃前後の低温のために、作られるべき花粉が作られなかったんです。花粉がなければ受精できないわけですから、出穂、開花しても実がならないんですよ。不稔なんです」
すぐさま田んぼに入り、一気に穂を刈り取った。
「バーッと穂を取って数えていくと、約6割から7割は不稔でした。慌てて、他の方の田んぼも調べたのですが、同じ日に田植えした田んぼはどこも同じ状況でした」
“──この4月までやってきたことが、全て無駄になってしまった──”
菅原さんは、その場にへたりこんだ。
「立とうと思っても立てないんですよ。全然立てなかった」
胸のつかえを吐き出すように、早口で菅原さんは言った。目には涙が浮かんでいる。10年たった今でも、鮮明に思い出すことができる悪夢。
「でも待てよ、と。田植えが遅かったも田んぼもあるな、と思い直して、まず普及センターに帰って報告をしたんです。センターの部長(荒塩氏)さんも“菅原さん、大丈夫だ。まだまだいっぱい田んぼはあるんだから”とおっしゃってくれました。私も、“そうだ、落ち着け。田んぼはまだ他にもある”そう思いながらも、もう少し詳しい調査をしたいと申し出ました。その時、ちょうど岩手から若手職員も応援に来ていましたから、皆で班を作って調査をはじめました。そして、調査のために抜き取った穂を順次確認した結果、ひどい所は7割、軽い所でも2割くらいの不稔があるということがわかりました」
不稔があっても、全滅ではなかった。それならば、あとは落ち着いて仕事をしよう。菅原さんは決意を新たにする。そして、5月の連休明けから刈り取りを始める。刈り取りに際して、各普及センターはじめ、関係者で班を編成した。また、ヤンマー、クボタ、イセキの3メーカーが全面的に協力をしてくれたため、最新鋭のコンバインを使う事ができた。人と物。両方が揃って、素晴らしくスムーズに仕事を進めることができた。
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