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北と南のラブストーリー
北と南をつないだ男−菅原邦典さん−
7.北と南をつないだ男

刈り取られた穂は乾燥され、5月10日、第一便が岩手に運ばれた。乾燥の度合いをめぐり、沖縄県の食糧事務所と意見のくいちがいがあったが、何とか乗り越えることができた。昨年12月2日に石垣島に送られた「岩手34号」と「岩手36号」は、約半年後に見事な種もみとなって帰ってきた。

「この仕事が成功したのは、石垣島の農家をはじめ、農協、市、支庁、普及センター等関係機関・団体の皆様からご指導、ご支援を頂いた結果と思っています。実際の現場においては、私が“こうだ”、“こうしなきゃ”と言う場面もありましたが、皆さん本当に私のお願いを受け入れて下さいました。だからこそ、一つ一つ確実に成功の道につながったんではないだろうか、そう思っています。あとは、そうですねぇ……、飲まない日が何日あったろうかと(笑)。私も知らなかったんですが、当時、家内がでっかい暦に○や△をつけたのを後で見ると、まあ本当に飲まない日というのはほとんどなかったですね。おまけに私は、飲めば物は食わないほうでしたから、家内がいなかったら途中で体を壊していたんじゃないかという気がします」

傍らで、奥様も涙ぐんでいる。お二人が味わった苦労を思うと、私も胸がいっぱいになる。しかし、菅原さんの苦労や努力はただそれだけのものでは終わらなかった。
石垣島から持ち帰った種もみは、岩手ですくすくと育ち、その年は大豊作となった。また、菅原さんの指導を通して、“バカ苗病(注1)”がなくなるなど石垣島の米づくりは格段の進化を遂げた。さらに、現在、沖縄本島から与那国島まで県内一の収穫量を誇る米は『ひとめぼれ』だが、その種もみの多くは岩手から移入されたものだ。北で生まれた種もみが、海を渡り、沖縄で育つ。10年前とは逆の事が行われているわけだが、これも菅原さんの尽力があったからだ。

“この経験を通じて、人生が変わりましたか?”
一番、聞いてみたかった事を聞いた。

「いやいや、そんなそんな(笑)。でもね、38年間の県職員生活でしたけれど、その中で買ってはできない本当に素晴らしい経験をさせていただいたし、また素晴らしい思い出をいただきました。今もまだ石垣島の方々とお付き合いをさせていただいているという事は、お互いの人生の中でなかなか与えられるものじゃないなと思っています。大事にしていかなければならないなあと思っているんです」

現在は、花泉町役場助役として多忙な日々を送る菅原さんだが、菅原さんには一つの夢がある。それは、再び種の仕事をしながら、沖縄との交流を深めていくこと。今はまだ時間が許さないが、いつか時期が来たら迷わずその道を歩み始めるだろう。幸い、石垣島に行けば皆“よく来たね”とあたたかく迎えてくれるし……。そう言って、菅原さんは小さな目をさらに細めた。

北と南をつないだ男、菅原邦典さん。
菅原さんの交流は、これからもずっと続いていく。

(注1)バカ苗病:バカ苗病とは、普通の苗よりも従長し、田に植えても実がはいらない稲になる病気

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(2003.02.13掲載)




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