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北と南のラブストーリー
菅原先生との友情・南清さんインタビュー
1..寒さに強い稲
南 清さん
VOL.1 北と南をつないだ男

岩手の種もみを石垣でつくるというのは、大胆な発想というか他に例のない初めての試みでしたよね。この計画を聞いた時、どんな感想を持ちましたか?

はい、これはもうね、気の毒だなと。
米どころとして有名な岩手の農家の方々が、大冷害という天災のためにどん底に落ちておられる。出稼ぎに行った農家のご主人が、米が取れなかったせいで米を土産に家に帰る、なんていう事態まで起きて涙を流しておられる。
これはもう、同じ農家としてはしのびないわけです。
ぜひ作ってあげなくては! と石垣の農家皆で一致団結しました。

 

─初めての試みだったから、作業はすべて手探りだったとうかがいました。

そうですよ。
いくら石垣が暖かいといっても、1月に田植えをするなんてね。
そんな早い時期から米づくりをしたことはなかったし、3月になれば台湾坊主(3月の終わり頃、ちょうど冬から春の変わり目に吹く風速20メートルから30メートルの強い風のこと)も来る。
雨も多くなるし、稲にとっては心配な日が続く。
菅原先生は家にも帰らず車に寝泊りして番をされていました。

 

─そんな苦労をされて育てた稲の中に実がひとつも実っていなかったその事実を知ったとき、どういう気持ちでしたかたか?

もう、大変なことになった!と青ざめました。
「稲はどうなってしまうんでしょう」と菅原先生に聞きました。

菅原先生は、すぐさま他の田んぼを調査してまわられて、全滅じゃないことをつきとめてくださいました。
そして、私に「南さん、全滅じゃないから大丈夫だよ、と。いくらかは実っているから大丈夫だ。これは天候のせいで、あんたが作る種もみが悪いとかそういうことではないから心配せんでええよ」と言って励ましてくださいました。

でも、私としては岩手の農家の方々のためにもちゃんと(稲を)作らなくちゃ意味ないでしょ?
いくら穂が出ても完全に実らなくちゃ意味がないので、後から植えた稲がちゃんと実るまでは、心配で仕方がありませんでした。だから、その後は実に育がきちんと入った稲がたくさん生えて、上等でしたからとても嬉しかったし、ほっとしました。

 

─菅原さんから、南さんはこれまでの経験もあるし、とても熱心な方だから、出会った当初はなかなか自分の言うことを聞いてくれなかったけれど、仕事をしていくうちにだんだんと仲良くなり、とても一生懸命に種もみをつくって下さったとうかがいましたが、南さんにとって菅原さんはどんな方ですか?

いやぁ、ハハハ…(照笑)。
そうね、菅原先生は半年以上石垣にいらっしゃいましたからね、もう毎晩私の家においでになりましたよ。兄弟のようにお付き合いさせていただきました。
今でも文通をさせていただいているのですが、本当に優しい人です。
そしてまた、よく勉強されているんですよ。
私達にも、米づくりに関するいろんな事を教えてくださいました。

岩手の米づくりは、非常に厳格でまた研究も進んでいて、技師も沢山いらっしゃるし、私にとっては勉強になることばかりでした。

 

─南さんは三線の師匠もなさっているし、大変な腕前だと聞きました。

大変な腕前かどうかはわからないけれど、酒の席や何かあると「南さんやってよ」と必ず頼まれましたね。
岩手の人はとても気持ちが優しいから、その事にひっかけて「岩手よいとこ一度はおいで、サーゆいゆい。岩手は乙女の心のやさしさよ♪(安里屋ユンタの節で)」なんてね。そんな替え歌をつくってしょっちゅう歌っていたので、菅原先生もしまいには覚えてしまいましたよ。

 

─無事、種もみが育って、その年の5月に岩手に見にいかれましたよね? ご自分が作った種もみが、田んぼ一面に育っているのを見たときはどんな感じがしましたか?

それはもう、嬉しかったですよ。
神様が助けてくれたんじゃんじゃないかな、って思って本当にワクワクしました。僕らの種もみは、苦労したけれど見事に出来たなぁ、よかったなぁ、と。本当にいい出会い、いい仕事をさせていただきましたし、私にとっては何物にも替えられない、かけがえのない経験をさせていただいたと思っております。

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