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「美ら島物語」メールマガジン「ちゅらしまニュース」発 泡盛コラム


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文・森山 卓


泡盛コラム番外編 Christmas Special 島人(しまんちゅ)ぬ宝 わったー自慢のオリオンビール


JTA本土路線の機内でも販売しているオリオンビール。
揺るがない沖縄でのシェアを確保しつづけているが、実は泡盛同様、県外からの物品の流入により『島ぐわー』と追いやられながら立ち上がった、苦難の歴史を辿ってきたのです。


戦後の沖縄、復興への道を探して動き出した。
沖縄に産業を! 地元のビール会社を創ろう! 沖縄から世界へ羽ばたこう! との志で、1957年 創業者具志堅宗精氏が『沖縄ビール株式会社』を設立。県内各地の水をサンプリングし、名護の水でビールを作ることを決定。
1958年ビールの名前を一般公募し、「オリオンビール」に決定!
1959年初仕込み 社名を『オリオンビール株式会社』に変更。
商品化のための研究を重ね、念願叶ってついに発売!
と、順調な滑り出しだった。  しかし…!?


当初は珍しさで市場へ流れていったものの、2ヵ月後倉庫は返品の山。
なぜだ? どうして? おいしいビールを造ったはずだ! 答えを探せ!
市場調査をするしかない! 会議が開かれた。
創立間もない会社にとって調査費用は莫大な経費となる。
賛否両論ぶつかり合ったが、せっかく立ち上げた地元のビール会社、何もせずに潰してはいけないとの答えで一致。調査を行った。


その結果、売れない原因は比較的単純に見つかった。味だった。美味しくなかったわけではない。
戦後、米軍統治下に置かれ、また亜熱帯の気候風土の中で沖縄の人々が慣れ親しんだビールの味は、アメリカンテイスト、サラサラ感があるものだったのだ。技術者をビールの本場、ドイツから呼んで研究したことが、結果的に沖縄の人々が慣れていない味を作り出してしまったのだった。早速、改良を行った。
さー、みんなが受け入れてくれる味に仕上がったぞ。
これで一安心、と思ったが世の中はそう甘くはない。一度ついたイメージはそう簡単には変わらない。売れないのだ。


予想以上に拒否された。もはやこれまでかと意気消沈、している余裕などなかった。社員は立ち上がった。定時になると、飲み屋街へ向かい、1件1件廻っては行く先々で、オリオンないか! オリオン美味いぞ!と言いつづけ、他のお客さんにも振舞った。
そんなに言うならもう一度、と徐々に注文が入ってきた。ガバガバ美味しそうに飲む集団を社員と知ってか知らぬか、他のお客さんもつられてもう一度、試し始めた。


あんしぇー オリオンてぃーち (んじゃ、オリオンひとつ)
あぉぅ? くれー まーさしぇー(これ、おいしいじゃないか!)
と、敬遠していた人たちも受け入れ始めた。


嬉しい噂が噂を呼んで、生産量も増えつづけ、ついに県外や海外商品を押さえて県内トップシェアを確保。うちなーんちゅに愛され、親しまれ、そして受け入れられていったのである。


その後、復帰を境に本土のビールが進出し、一次的にシェアは落ちたが、うちなーんちゅは、あらためて慣れ親しんだオリオンを選んだのだった。


苦難の道を支えたのはきっと、夢と希望にちがいない。
創業者具志堅宗精氏は、『苦しい時があったから今がある。企業がいかにお金を儲けるのではなく、儲けたお金をいかに社会へ還元するのかによって、その企業の存在価値が決まる』と在任中社員に語りつづけていたそうだ。その意志を受け継ぐ社員によって、地域に根ざした活動が繰り広げられ、うちなーんちゅに愛されるビール、ビール会社の地位を、確固たるものにすることができたのだった。


♪三つ星掲げて高高と〜! ビールに託したうちなーの!(あっでぃ)
夢と飲むから美味しいさ〜 わったー自慢のオリオンビール♪


BEGINの唄うオリオンビールの唄「おじい自慢のオリオンビール」
その思い、お受け取りいただけましたら、ご唱和お願いいたします。


『あっでぃ乾杯!』


オリオンテイスト: 気候にマッチした、喉ごしと爽快感を追及亜熱帯の島を吹き抜ける風のような爽やかさ。

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(2003.12.01掲載)




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