
一昨年の夏、菊之露酒造へ取材で伺ったときのこと。社長さんにお会いしたいと思いつつも、県内大手の酒造所だから、きっと会ってくれないだろうと、半ばあきらめながら約束の時間に訪ねた。
みなさん急がしそうで、話してる間もないといった雰囲気だったが、これから伊良部島まで行かなきゃならん、と食い下がり、写真を撮って話を聞いていた。
ところで何で菊之露って名前なのですか?
忙しそうな事務員さんの手が止まった。
そして、なぜだか笑みを浮かべながら、その辺の詳しいことは社長から聞いたほうがいいはずよ、喜ぶはず。今いるから時間あるか聞いてみようね。と、隣の建物へ行き、しばらくして戻ってきた。となりへどうぞ、社長が連れておいでと言ってるよ。
Oh! 社長さんに会える! と、るんるん気分で扉を開けた。
スマートで、目が鋭く輝く老人が座っていた、昔はきっとパワフルだったんだろうなって雰囲気を醸し出している、スーパーおじいって感じだ。
菊の露の由来を聞きたくてと切り出すと教えてくれた。
昔々、中国に不老長寿の泉があり、万病に効くと言われていた。ある孝行息子が病に倒れた母のために、その泉まで行き、菊の葉に泉の水を持ち帰って母に飲ませたところ、たちまち元気になった。元気になるような、恵みの酒にしたいと願って名付けたと、語ってくれた。
社長は若かりし頃、中尾酒造から酒造所買取の話を持ちかけられたが、親はおまえの力でやってみろと一銭も金を出さず、自分で銀行から借金をして酒造所を買い取った。そして菊之露酒造に名を変えて、ここまで発展させたという会社の歴史も聞かせてくれた。うちには素晴らしい杜氏がいるからここまで来れたとも語っていた。
ふとテーブルの上に目をやると、かなりの年月が経っている一升瓶がデーンと置いてある。聞けば46年は経っているという、中尾酒造時代の菊之露の一升瓶だ。
社長、これ飲まれる予定はありますか?と伺ったら、
「何かの時に一度は飲みたいな」と語った。
それからさらに話が盛り上がり、
「君、いろいろ知りたいんだね、そしたらもうひとつの工場も見なさいね。」
と、NOとは言えない雰囲気で一言。嬉しいお誘いだったが、その日は伊良部島の宮の華酒造まで行かなくてはならなかったので、翌日の約束をして菊之露酒造を後にした。
次の日、約束した時間に社長を訪ねると、待っていた。
よし、君の車で行く。と、助手席に乗り込んで、はいまっすぐ、そこ右にと案内してくれた。着いたところは第2工場。巨大な工場の中には貯蔵タンクがたくさんだ。ずっと安定して供給するために、タンク500本の貯蔵を目指しているという話もしてくれた。
社長、写真撮ってもいいですか? って聞くと
「問題ない、なんも問題ない。君が好きなようにしなさい。」
写真を撮り終えると、
「聞きたいことがあったら何でも聞きなさい。那覇へ戻ってからでも電話しなさい。何も問題ない、何でも教える。」と、優しいけれどパワフルに語った。それから本社へお送りしてお別れしたのだが、実はこのときが、下地潔社長との最後のお別れだった。翌年、他界したからだ。潔社長、若いころは客人が来ると、ダンプカーの荷台で車座になって昼間っからおとーりで酒を飲むようなバイタリティーあふれる人だったと、その後に聞いた。
きっとその当時に出会っていたら、僕もダンプの上でつぶれるまで飲んでいたんだろうな。でも、会ってみたかったな。
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