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石垣島が燃えた日。 〜2003年4月13日石垣島トライアスロン大会&ITUトライアスロンワールドカップ石垣島レポート〜
スタッフ日誌〜トライアスロンを支える人々〜  
文/米澤 哉江(美ら島編集部)
4月2日。
私は石垣島にいた。


4月1日は美ら島物語リニューアルの日だった。
無事リニューアル終え、ホッとしたのもつかの間、私は飛行機の中にいた。那覇空港から約1時間、あっという間に私を乗せた飛行機は、石垣空港に着陸した。
目指すは、石垣島トライアスロン事務局。今から私は石垣島トライアスロンスタッフとして事務局に行くのだ。どうしていきなり行くのかというと、それはある人達を取材する為であった。それは誰かというと……おっとまだ早い。まずは事務局に行ってから!


市役所内に石垣島トライアスロン事務局はある。
私は 緊張と動揺を隠せないままドアを開けた。
石垣島トライアスロン事務局
「こんにちは。今日からお世話になります。 美ら島物語編集部の米澤 哉江です。」


この瞬間から、私のスタッフ生活が始まった。
トライアスロン事務局は、嘉数局長、比嘉次長、下地さん、前津さん、デビット、小底さん、多宇(たう)さんの7人である。

トライアスロン当日も含め、事務局の電話は常に鳴っていた。局員の方は本番が近づくにつれ、会場設営などで日に日に忙しくなっていた。その為、局員は現場に出ている事が多く、事務局にいる時間が少なかったので、私も電話応対をしていた。また、事務局は人の出入りも激しいので、いつもバタバタしていた。


そんな忙しい中、比嘉次長は時々歌をくちずさんでた。
それがけっこう私は好きだった。次長の歌が聞こえる。ちょっとパソコンから目をはずす。周りにいる人の顔が見える。次長の顔を見る。笑ってる。あたしも笑う。そして、パソコンに目を戻す。これは一瞬の出来事なんだけど、ゆっくりである。矛盾しているのだが、ゆっくりなのである。


仕事って人それぞれいろいろなやり方があると思う。私は、今までの自分の仕事のやり方を振り返ってみた。沖縄に来て約半年、社会人1年生の私にとって、日々の出来事はすべて新しく、毎日が勉強である。たった半年だけれど、いろいろ経験したし、自分なりにがんばっていると思っていた。だけど、それはひとつの事に夢中なだけだったかもと思った。そう、ひとつの事しか見えていなかったのだ。私には、周りを見る余裕がなかった。それに気付かせてくれたのは比嘉次長だった。


次長のまわりにはいつも笑顔があった。
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