でも。
この、
ごく平凡な日常がいとおしい、とも思えるのです。
蜂の巣のような画一化されたマンションの一室で、
まったく同じ間取りの部屋が何十とあり、
ベランダの向こうには同じようなマンションが4棟も建っていて、
そうゆう絵に書いたような色気のない都会暮らしだけれど。
休日には向かいのベランダに、
たまりにたまった洗濯物を干す単身赴任と思しきおじさんが現れたり、
ヒョウ柄の部屋着で布団を干すおばちゃんが出没したり。
ひとつひとつの部屋に、
ひとりひとりの暮らしがあって。
そう思ったら今度は、
私の暮らしを手助けしてくれる日用品たちが
なかなかにいとおしく思えてきて。
ローマで迷い込んだ路地で買った上着。
高校生の頃、
大分のデパートで、
いつかひとり暮らしをする日を夢見て買ったグラス。
東京のデパートで買った大量生産された平皿。
友人がプレゼントしてくれた琉球ガラスのコップ。
石垣島の電器屋で買った掃除機。
18の頃、親に買ってもらった木の机。
皆、
私の生活を支えてくれるモノ。
作った人の思い。
くださった方の思い。
使っている人の思い。
モノは皆、
作り手、
売り手のもとを離れたら、
使い手の掌なかで、
使い手と一緒に古くなっていき。
そしてこうしてあらためて、
食器棚を眺めてみても、
そこはじつに混ぜこぜで。
外国製のグラスに食器、
日本製の大量生産品や、
九州の焼き物、
沖縄の陶器やガラス、
それらが共存していて。
器も、
器にもりつける料理も、チャンプルー。
だから食器棚の扉を開けるときは、
ちょっと楽しいのです。
目玉焼き、肉じゃが、パスタ、オムライスにフーチャンプルー。
今日の食事を、
どの器に盛りつけようかと悩むひとときが。
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