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沖縄を伝える〜歴史〜南島詩人・平田大一 歴史探訪シリーズ「天然島人〜島を歩く、歴史を歩く」第3話/「組踊を作った琉球の劇聖『玉城朝薫』にせまる」

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組踊を作った琉球の劇聖『玉城朝薫』にせまる
沖縄を伝える〜歴史〜

組踊

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  モノの本によれば、朝薫はその江戸上りの際に大和の芸能である「能」や「狂言」、「歌舞伎」などを観て電気が走るような衝撃を受けたと言う。当時の琉球にはない、生き生きした演目の数々を目の当たりにするにつけ、我が琉球王国の文化の幅の薄さに少なからずともショックを受けたようで、彼の想いの中に「新しい琉球芸能創出の種火」は、確実にあったようだ。

 折りしも、今で言うところの文化振興課にあたる「踊り奉行(おどりぶぎょう)」に任命、時の琉球国王「尚敬王」に呼ばれた彼は国家の一大事業である「中国・冊封使」を迎え入れる招宴企画担当という重職を任される。

 失敗すれば「命はない!」。

 琉球国の威信をかけた新たな芸術作品の創作に、彼は文字通り「命懸け」で取り組んだ。

 そして1719年、思索に思索を重ねた朝薫は、琉球に古来から伝わる物語に大和で観た舞台の感動をミックスさせ「組踊」という、全く新しいスタイルの琉球芸能を作り上げた。それは、「音楽と舞踊と芝居」を組み合わせた「琉球型の音楽舞踊劇」だった。
  観劇した中国の使者たちは皆立ち上がって涙を流し、感動に奮える声で賛辞を叫びながら、惜しみない拍手を送り続けたという。

朝薫35歳のことだ。

 

 
  僕は、彼の経歴を紐解きながら、不思議な感覚に陥った。朝薫を知ったそのとき、僕もまた彼と同じ「30歳」。そして、後に国劇と呼ばれるようになった「組踊」を生み出したのが「35歳」。5年をかけて、沖縄芸能の新たな「スタイル(様式)」創出に、この僕も挑戦しろということか!

  根拠なき、使命の自覚。楽観的な性格の僕は、思い込みもいいところだが、人知れず、勝手に誓った。彼と同じ「35歳」までに、何か自分らしいシゴト、「新たな沖縄文化の創出」に取り組まねばならない!と。

 
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 僕の「現代版組踊」誕生の種火がまさに、ここにあった。

 今年6月。僕は、沖縄県内で開かれる「G8科学技術長官会合」の県知事主催晩餐会にて各国の大臣をおもてなしする「特別演舞」の総合演出を任命された。 

 サミットの前夜祭、沖縄という名前が世界に発信される重要な会議のスペシャルアトラクションを打診された時、僕は演目のコンセプトを「伝統と未来」と位置づけた。古き良きものを大事にしながら、躍動する新しい芸能、その息吹を伝えていきたい!そう、思ったからだ。

 そう、僕は「現代版の踊り奉行」、南島詩人平田大一なのである。

 

                                 南島詩人/平田大一

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