「人魚というのは、ザン(ジュゴン)のことですか」
私は案内役の島(新城島/八重山)の総代にきいてみた。
「いや、本当の人魚は別にいます」
と、総代は平気な顔でこたえた。
「本当の人魚を、見たことがあるんですか」
「あります。西表島の南風見(はいみ)の海岸の岩穴には、今でも本当の人魚が棲んでいます。」
「で、どんな格好をしているんですか」
「黒い髪をたれて、乳房があって、そっくり人間の女と同じです」
「ほう、どうしてそれを捕獲しないのですか」
「とんでもございません。人魚を捕らえたものは七代まで祟られるというから、誰も怖くて手をつけるものはいません」
「それは、本当の話ですか」
「本当ですとも。嘘だと思ったら南風見の海岸に行ってごらんなさい。薄暗い珊瑚礁の岩穴に、子どもを抱いてお乳を飲ましていますよ。私達が近づくと、ぎょろっと睨みつけるので、怖くてよりつけません。」
この対話のように、人魚とは儒艮(ジュゴン)なりという学説を裏切って、人魚は別にいるという話は、一体どこまでがほんとうであろうか。
(伊波南哲著「沖縄風土記」/未来社)より
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