ナビゲーション

地図から探す

島名から探す

検索

泡盛天使の酒造所めぐり 第1回 多良川(宮古島)

2代目として

酒屋の跡取りとして育った佳一さんは地元の高校を卒業後九州の大学に進学。
卒業後那覇にあった東急ホテル(現在は廃業)に2年間勤務した後、九州出身の奥さんと一緒に宮古島に戻り26歳で会社を継いだ。

沖縄が日本復帰に移行していく中で泡盛の原料はバリ米(砕米)になっていった。
国産米では割りに合わない事もあってタイ米で造るようになっていった。
オリオンビールの空き瓶に詰めメリケン粉(小麦粉)を水で溶いて作った糊でシールを貼っていた。
当時はウイスキーが全盛の時代、飲食店でも泡盛を出す店はほとんどなかった。
過当競争と経営危機で廃業する所も出てきた時代。多良川も例外ではなかった。

思いあぐねた佳一さんは「そうだ、行商に出よう!」と決め、4合ビンを2トン車いっぱい積んで船で那覇に渡った。
宮古の郷友を訪ね、宮古出身の人たちが経営している飲食店を紹介してもらい行商に明け暮れた。
宮古島から酒を売りに来たというだけで無条件にみんな買ってくれたそうだ。
そのとき郷友の人たちの温かさと優しさを実感したという。
しかし・・売り上げのほとんどは交際で消えてしまったそうだ。(笑い)

それでも口コミで、那覇でも多良川の酒が段々売れるようになっていったが、本島の酒屋が糖蜜で造った酒を安価で売り出したため、価格競争が激しくなり業界全体がきびしい時代になっていったがここから持ち前のパワーと行動力が発揮されていく。

金もないのに本土まで出かけて、経営学を学び人間学を学んだ。
いろんな人たちとの出会いで、これまでの酒屋の常識を覆すような経営を展開していくようになった。
多良川酒造を一躍有名にしたのは、「鍾乳洞」での酒の貯蔵だった。

オーナー制度を導入して、個人が買った酒を鍾乳洞で預かり、数年後に古酒になって返すというもの。
ヒンヤリとして温度が安定している鍾乳洞は酒を寝かすのに最適だという。
当時、宮古島でキャンプをしていたオリックスの故・仰木監督は大のお気に入りで毎年自分の酒に会いに来るのを楽しみにしていたそうだ。
観光客にも徐々に知られていくようになり多良川酒造の名前は浸透していった。

商品造りでも次々とヒット商品を生みだしていく。
オトーリで酒を飲む習慣?のある宮古島ではオトーリ用に水割りの酒を準備する。
それからヒントを得て「ならば最初からオトーリ用の酒を売ればいいのではないか」ということで業界で初めて18度の酒を発売した。
これは人気となり他の酒造所も次々と発売していった。まさに宮古島ならではの商品となった。

泡盛が県外でも知られるようになっていくと「琉球王朝」という名前の古酒を売り出した。
宮古島の酒屋が琉球王朝という名前を付けたのにみんな驚いた。ヒット商品になり、今でも多良川の主力商品である。
更に宮古島から南城市に工場を作り、沖縄本島・県外への販路も拡大している。

前のページへ

次のページへ

topへ戻る

当サイトは、日本トランスオーシャン航空(株)がお届けしています。
Copyright © 2001-2017 Japan Transocean Air. All rights reserved.

沖縄広域MAP

沖縄詳細MAPへ

閉じる

沖縄詳細MAP

  • 伊平屋島
  • 伊是名島
  • 伊江島
  • 粟国島
  • 久米島
  • 渡名喜島
  • 沖縄本島
  • 慶良間諸島
  • 北大東島
  • 南大東島
  • 石垣島
  • 小浜島
  • 鳩間島
  • 与那国島
  • 竹富島
  • 新城島
  • 黒島
  • 西表島
  • 波照間島
  • 伊良部島・下地島
  • 宮古島
  • 多良間島

沖縄広域MAPへ

閉じる

  • 粟国島
  • 新城島
  • 伊江島
  • 石垣島
  • 伊是名島
  • 伊平屋島
  • 伊良部島・下地島
  • 西表島
  • 沖縄本島
  • 小浜島
  • 北大東島
  • 慶良間諸島
  • 久米島
  • 黒島
  • 竹富島
  • 多良間島
  • 渡名喜島
  • 波照間島
  • 鳩間島
  • 南大東島
  • 宮古島
  • 与那国島
  • 奄美大島
  • 与論島

閉じる